今日は寒い。砂糖を切らしてしまったので、買い物に行こうと思っていたのだけど、朝から曇っているし、昼からは冷たい雨も降り出してしまったので、家にこもって読書に耽ることにした。暖かい部屋の中で、静かな音楽を流す。淹れたてのコーヒーを飲みながら、本を読むのも良い過ごし方だ。あれこれ本を手に取りながら、少し読んでは棚に戻し、別の本を少し読んではまた棚に戻しながら、最終的に選んだ本は、株式投資に関する本だった。毎年の傾向として、10月から12月にかけて株式相場は緩やかに上昇していく印象を持っていたが、先週の相場は一方的に下がり続けた。それもあって、いま一度、投資を継続していくための理論的な支えを確認しておきたいという気持ちがあったように思う。
先週の相場が下がり続けたことについては、もちろんいい気分ではないが、落ち込んでいるかと言われたら、そんなことは全くない。むしろ安値で株式を仕入れる状況が続くことを歓迎している気持ちもある。とはいえ、今後また一段の下げ相場が来る可能性もあるわけで、そんな時にもこれまでと変わらず淡々と株式を買い持ちつづけるためのモチベーションを高めておきたい。今日読んだ本は、ジョン・クリフトン・ボーグル著「インデックス投資は勝者のゲーム」で、投資継続のための理論武装にはうってつけの名著だと思う。
この本では、投資における心構えが論理的根拠とともに語られていることに加え、それらの論理的根拠を支持する学者や投資家、世界の名士の言葉がされている。その中で印象に残ったのが、19世紀初頭のプロイセン将校カール・フォン・クラウゼヴィッツ「優れた計画の最大の敵は、完璧な計画を夢見ることである」という言葉だ。伝統的な時価総額加重平均のインデックスファンドが市場平均の利益を愚直に得続けることを目的としていることについて、市場平均を超える成果を標榜するアクティブファンドに手を出そうとすることへの警告として、この言葉が紹介されていた。
ボーグル氏は、株式市場の本源的な価値は、企業の配当利回りと利益成長によって生み出されるものだとして、市場全体に投資する投資家は皆、長期的にはこの果実を公平に受け取ることができると説明する。ただ、短期的には、市場に参加する人間の心理により、相場がその本源的価値より上昇したり、下落したりすることがあり、その変動幅は本源的な価値の変化よりも格段に大きくなる傾向がある。こうした値動きに本来の本源的価値の成長が隠されてしまうと、大きな相場の上昇下降を捉えて売買を繰り返して短期間に利益を得ようとしたくなってくる。その欲を抑え、企業の本源的な価値の増大に注目しながら淡々と運用を続けること。それこそが長期的に資産を大きく増やすために必要な態度だと戒める。
具体的には、株式市場が高騰しているときにも、愚直にペースを守って追加投資を行い、売らずに持ち続けること。ただ市場変動のリスクを受け入れ、何もしないことこそが必要な態度ということ。何もしないことは、何かしたくなる衝動を抑えて、ペースを守るということ。もっと良い手段があるはず、完璧な投資手法がある筈だという発想は、一見前向きに見えるが、何もしないという現状の苦しさから逃避するための言い訳にもなりうる。クラウゼヴィッツは、完璧な手段を夢見ることの危険性を指摘しているんだと思う。
色々調べるのが好きだけど、実は面倒くさがりであんまり動きたがらない。そんな性格の人は、実務の世界では「調べてばかりいないでで手を動かせと」か言われそうだけど、長期投資の場では生き残る可能性の高い人かもしれない。長期投資はものぐさが長所になる。それでプロのトレーダーに勝る成績を納めるることもできるのだから、稀有な世界だと思う。