バブルの筋書き
不動産の価格が以上に高騰する。時流に乗った企業の株式が、百年分を超える将来利益が織り込まれた価格で取引される。そうしたバブルは、過去何度も世界中で発生してきた。バブルが起きている最中、多くの人はそれがバブルであると気づかない。一方で、いつの時代にも、バブルが発生している可能性に気づく冷静な人も少数ながらいて、バブルが弾けるのを恐れていたり、バブル後の投資機会を伺ったりしている。でも、その少数の人が根負けするくらい、市場は上昇を続ける。そんな中、多数の人は無邪気に利益を重ねていく。少数の冷静な人がバカを見ているように感じるくらい、簡単に大きな利益を得続けていく。そうして冷静な人が恐れを忘れ、あるいは投資機会が到来することを待つのに痺れを切らし、自分も時代の波に乗って利益を得ようと市場に参加する。暴落が起きるのは、大体そういう時だ。
バブルにも一面の真実がある
狂気とも言える価格形成がされるのがバブルだが、どんなバブルにも一面の真実がある。リーマンショックの前には、「不動産はインフレに強い資産で、住宅であれば住みつづけることができる」というセールスが行われた。この主張は不動産のもつ性質の一般論としては正しいが、不動産であれば、どんな価格や手段で購入しても損はしないということにはならない。それなのに、これ以上値上がりする前にローンを組んででも購入した方がよいとか、今買って今より高値で売り抜けようという発想が主流になり、適正な価格を度外視した不動産価格が形成され、やがて暴落した。インターネットバブルの前には、「インターネットは世界を変える」と盛んに宣伝された。実際にインターネットは世界を変えた。でも、インターネット産業に関わる企業であれば、突出した企業価値を将来にわたって保ち続けられるという保証はない。それなのに多くの資金がインターネット関連企業に注ぎ込まれ、やがてそうした企業の株価が暴落した。17世紀のオランダでは、「チューリップは美しく希少価値がある」と皆が熱狂し…(以下略)。歴史を振り返ると舞台の台本を読んでいるようだが、そのときの人々が大真面目に行動し、繰り返してきた筋書きだ。
今がバブルである可能性
そう考えると、今の世界経済がバブルのただなかにあるという可能性もある。アメリカの巨大テック企業には、一国の予算規模を上回る利益を生み出しているものもあるし、そうした企業の株価は100年以上先の利益をも織り込んだ価格になっていて、世界市場の平均価格を牽引している。もし、そうした企業の価値が価格に見合わないものとみなされたらどうなるか。おそらく市場は、深い谷へと落ち込んでいくと思われる。これまでよりも深い深い谷へと。
過去に発生したバブルの歴史を調べ、今もこれからもバブルの発生はあるものと予想していて、その後に深い停滞期が来る可能性があるのなら、市場平均に投資を続けることに意味はあるのか。そうした投資を続けることはむしろ危険なのではないか。そういう疑問が出てくることも理解できる。それでも、投資を続けることには価値があると思う。
投資に価値があると思う理由
これからもバブルが発生して弾け、世界経済の低迷期が来る可能性があるにもかかわらず、投資を続けることに価値があると思う理由は、ふたつある。
ひとつめは、バブルが発生するのか、発生するならいつ発生していつ弾けるのか、わからないからである。いつ来るかわからない投資機会を待つことは、投資機会を逃すことに繋がりかねない。過去の株式の価格推移を見てみると、約77%の確率で上昇し、23%の確率で下落している。7割の打率が確保できるなら、打席に立った方がいいという考えるわけだ。
ふたつめの理由は、バブルが発生して弾けても、長期的に見れば市場はそのバブルによる暴落を乗り越えて大きく成長すると考えられるからである。おそらく暴落時には悲観一色となり、あらゆる業種の株式は売られ、世界市場の平均価格も大きく下がる。そうした時に、淡々と安値で世界に分散された株式を購入することで、やがて経済が復調してきた時に、大きな利益を得られると考えている。焼け野原になった畑に、種を植え続けることで、長期的には植物が芽吹き、大きな果実が得られるというイメージを持っている。
投資を続けるために必要な覚悟
いずれにしても、これらは生活するに困らない資金があってこその考え方だ。明日食べることに不安を抱く中で、長期的な世界経済の復調だとか、大きな果実だとか言っていられない。だからこそ、株価の上下に影響されない収入の確保もとても大切だ。株式以外の収入で生活をまかない、しばらくの期間を凌いでいれば、また世界は新しく成長を始める。そうした展望をもって、柔軟に生活資金を確保していくイメージをもつことも、長期投資を続けるために必要な覚悟のひとつだと思う。