YouTube動画をよく視聴する。投稿される動画の内容や完成度はさまざまで、テレビ制作会社並みに完成度の高いものや、映画のようなストーリー構成をもつものがあると思えば、自分でも作れるのではないかと感じる思いつきのような作品まである。
最近よく見ているのは、アフリカのライオンが自分の体よりも大きな獲物を何日もかけてひたすら食べては寝て、食べては寝てという様子を映している動画だ。自分の体より大きいものを体に取り込むわけだから、消化にも時間がかかるのだろう。獲物の傍らでぐうぐうと寝ているのは、消化を助けるためかもしれない。日差しが照りつけてくると獲物を引きずって木陰に行き、そこで食べ続け、あくびをし、また寝る。風が吹き、草が揺れ、日が暮れる。涼しくなってくると、またのそのそと食べ始める。たまに川に水を飲みに行き、帰ってきて獲物を舐めて、食べて、また寝る。ハイエナが寄ってくると追い払い、また寝る。そうしてだんだんと獲物が骨だけになっていく。
ストーリーも解説も何もない。ただひたすら食べて寝るライオンがほぼ定点観測で映されている。こんな番組は、おそらくテレビでは成立しなかっただろう。万人受けする内容でもなければ、誰をターゲットにした構成なのかも不明だ。見ている本人も、この動画の何が気に入って見ているのか正直よくわかっていない。限られた時間の中で特定の視聴者層に対して効果的な広告を打ちたいテレビのスポンサーからすれば、不確定要素だらけの番組を放送してほしいとは思わないだろう。
そんな作品が、YouTubeでは成立している。視聴する人が少なくてもコンテンツは生まれるし、視聴する人が少ないまま存在し続けることもできる。動画の作成者は、少数に限らていた興味や関心をコンテンツに取り込み、自由に公開することができる。これはつまり、作品を公開する自由を作品の作成者が取り戻したということだ。YouTubeは、作品を自由に公表できる場を提供することで、作品の作成者と視聴者の支持を集め、従来のテレビ出演者やテレビ視聴者を取り込んでしまった。テレビのあり方を攻撃するわけでもなく、裁判で争うわけでもなく、テレビより魅力的なコンテンツを提供する場を作り出すことで、テレビの影響力を静かに否定してしまった。これまで何を放送し、何を伝えるかを決めていたマスメディアの力が弱まる傾向は、加速していくように思う。
ものごとの仕組みが変わるとき、その変化は目立たないものかもしれない。日常の生活で感じる変化は小さなもので、意識することもないかもしれない。しかし気づいた時には、元には戻ることのない大きな流れが作られていることがある。YouTubeがメディアに引き起こした変化は、いわば静かで洗練された革命なのかもしれない。静かに確実に進んでいく変化の中では、新しい価値観が生まれていく。古い体制で抑圧されていたものの価値が見直され、社会が良くなっていく可能性もある。変化を前向きに受け入れることのできるしなやかさを持っていたい。