人は集団から外れることに、強い恐怖心を覚えるという。これは、ホモサピエンスが集団を形成して情報を共有し、他の集団より優位に立つことで生き残ってきたことの名残で、本能に基づいた感覚らしい。集団に属することで身を守って生き抜いてきたため、集団から外れる可能性のある行動を取ろうとすると、とても大きな警戒音が鳴り響くようにできているのだそうだ。
しかし、どんな種族にも少数派はいる。そうした警戒音に幼い頃から慣れてしまっている者もいて、これがオタクとか、変わり者とか呼ばれることになる。こうした人たちは、いわゆるとんがった趣味趣向を持っていて、通常社会的にあまり好意的に受け取られないような分野に、興味の向くまま没入することができる。世間からの理解を得られないとか、社会的理解を得られないとかいうような行動は、もちろん警戒音を引き起こすのだけれども、その音が日常的に鳴り響いているものだから、慣れてしまっているのである。警戒音と共存していけるのだ。
そういう解釈なり説明なりを聞くと、なるほどなと思う。一方で自分はといえば、集団の中にいることに居心地の良さを感じることがあまりない。かといって、集団から外れることへの警戒音が鳴り響くような状況に慣れているわけでもない。どちらかというと警戒音の設定が逆になっているのではないかと感じることがある。今ここで同調すると将来的に集団の倫理に絡めとられるのではと感じるような場面に、警戒音が鳴るのを感じてきた気がする。人の輪に近づきすぎると、離れるように警戒音が作動するのだ。
結局のところ、集団というものに帰属することへの感覚は人それぞれだと思う。でも、警戒音が作動するという考え方は面白いと思う。自分自身の警戒音が作動する仕組みを知ることが、自然体で生きていくためのヒントになるかもしれない。