車を手放して気づいたことがいくつかある。移動に関しては少し時間がかかるようになったけれど、自由に使える時間とお金が増え、不思議と穏やかな気持ちでいられる時間が増えたように感じている。
なにより気楽
車がないと、移動手段は徒歩、あるいはバスや電車などの公共交通機関となる。目的地への移動には車よりも時間がかかるけれど、自分で運転する必要がないから、音楽を聴いたり考え事をしながらのんびり移動ができる。もちろん車に乗っていても、音楽を聴いたり考えごとをしたりすることもできるが、運転しなければいけないから、気を抜いた状態にはなれない。いつもどこかで交通ルールを意識し、安全に気を遣い続ける必要がある。この気遣いが、心の平穏を少なからず奪い、のんびりとしたくつろいだ気分を遠ざけていたように感じる。もちろん歩いていても交通ルールは気にする。でも、歩いていて誰かを傷つけたり、こちらの責任で大きな事故を起こす確率はとても低い。危険を感じたら、自分の身を守るために、立ち止まったり、迂回したり、避けたりすればいいだけだ。この気楽さは、なにより心地よい。
時間やお金を奪われない
毎月の駐車場の料金がなくなったのも嬉しい。ガソリン代もかからない。保険料もいらない。タイヤやワイパーを定期的に交換しなくてもいいし、ウィンドウォッシャーの補充やエンジンオイルの交換も不要。車検のために車を預けたり、待ったりする必要もない。洗車も定期点検も気にしなくていい。自分から引き起こす自動車事故や車にイタズラされる心配もない。そう考えると、車を持つだけで随分気を遣っていたんだなと感じる。移動時間が短くて済むことと引き換えに、こうした気遣いに時間やお金、エネルギーを取られていたことを考えると、車を手放して負担が減ったことを実感する。
考えごとにちょうどいい
ゆっくりと歩いていると、ゆっくりとものごとを考えられる。家の中で考えていると同じ所をぐるぐる回っているだけだったことも、歩いていると、ふと新しい見方を思いついたり、思いもしなかった点にふと気づいたりすることもある。最終的にどうでもいいと思えることも出てきて、気持ちが楽になることもある。街路樹や山の色づき方で、季節の移ろいを日々感じることもできる。毎日すれ違う人たちの顔ぶれを観察して、その人たちの気分を想像する。すれ違う場所がどこかで時計を見なくても大体の時間がわかるようになる。しっかりご飯を食べ、そのエネルギーが歩く熱量に変わっている感覚。地に足がついているような感覚。歩くくらいのペースだと、思考のエネルギーを奪われない。周りを観察できること、自分のペースを客観視しながら、のんびりと移動することができる。このこともまた心地よい。
たまに大きな道を歩いていると、前方の車を煽るように走る車を見かけることもあるけれど、きっとそういう運転をする人も、煽られている人も、移動を楽しむどころではないと思う。お金と時間とエネルギーを取られ、どうしようもなく怒ったような、焦ったような、そんな気分になっているように見える。きっと景色だって見えていない。風の香りや光や気温の移ろいにも気がついていない。移動時間が短くなろうとも、そんな苛立った時間が増えてしまうなら、本末転倒じゃないかなと思う。効率的で高品質で時短に役立つのはそのとおりなんだけど、なんだか自分も疲れている。そんなことが、世の中には他にもたくさんあるように思う。トータルで見て、自分が楽でいられることを大切にする。そんな考え方を試しているところ。