Yubo’s Blog
日々の生活で感じること。 新しいことに挑戦すること。 その記録。
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十五夜までだね

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十五夜までだね

うっかり寝坊して、八百屋に行くのが遅くなった。急いで11時頃に駆けつけたけれど、とうもろこしは、もうあらかた売れてしまっていて、小ぶりなものが残っているだけだった。それでも1本50円なので、今日も5本ほどいただくことにする。いつものとおり皮を剥きながら、店の奥にいる店主に話しかけた。「もうそろそろ、とうもろこしは終わりですか」と尋ねると、「十五夜までだね」と飾り気なく応えた。

最低限の常識

「なるほど、そうですよね」と返して八百屋を去ってきたけれど、はたして十五夜がいつなのかよくわかっていない。なにげない会話の中で、自然に十五夜という言葉が出てきて、それを理解できないということにショックを受けていた。十五夜というサウンドは聞いたことはあるし、小説でも映画でもそんな言葉が出てきたシーンを見たこともある気がする。確か季節は秋だ。9月から10月の間のいつかのはずだ。でも、その言葉を実生活で意識したことも、周囲の人との会話で使ったこともなかった。もしかしたら、自分には最低限の常識がないのかもしれない。悔しかった。焦りもあった。何より惨めだった。家に帰ると、とうもろこしを塩茹でにするより先に、ネットで「十五夜」を調べた。

現代人は豊かになったか

十五夜といえば、旧暦八月十五日のことで、中秋の名月とも呼ばれるとのこと。旧暦は太陰暦なので、毎年日にちは変わるらしく、今年は9月29日のようだ。平安貴族はこの日に月を愛でる行事を行ったり、庶民は芋類の収穫祭を行ったりしたとのこと。そもそもこういう季節行事が、現代の生活からなくなってしまっているので、調べてみてそうなんだと知るのが実際のところだ。そしてふと思った。多くの人は、日々新しい情報を大量に仕入れて、必要な情報を取捨選択して、日々必死に経済を回している。そんな現代人は、月を愛でるとか収穫を感謝するとか、そういう季節の移ろいに目を向けて生活ができていた平安の人たちより、豊かになっているのだろうか。

店主への敬意

八百屋の店主は、客が二人も入れば身動きが取れなくなるような小さな店で、いつも通りテレビを見ながら商売をしている。蚊取り線香の煙の奥で、飾り気なく対応してくれる。近くに大型の店舗ができても、コロナショックが来ても、何も変わらずキャベツやニンジンや玉ねぎを常識的な値段で扱い続けてくれる。そのことだけでも頼もしさを感じ、ひっそりと感謝の念を抱いていた。それに加えて、なにげない会話の中で、新たな気づきを与えてくれることもある。ネットスーパーを多用するようになった今でもときどきこの八百屋を訪れるのは、店主に対する敬意を示すことでもある。

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ゆぼ
ゆぼです。自由に、幸せに生きていくことが目標です。おいしい食事と心休まる音楽が好き。じゃがいも育てています。

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