その日にどんな服を着るか、毎朝迷わなくていいように、同じ服を何着も揃えるという生活スタイルが雑誌で紹介されていた。毎日同じ服装では飽きるという人は、三日分くらいの服を揃えて、コーディネートを変える方法も紹介されていた。生活における合理性の追求といったところか。何を着るか、何を食べるか、何を持っていくか、その都度悩まなくていいように、パターンを決めてしまい、日々のストレスを減らして身軽に生きようというのが、この記事の趣旨だったように思う。
確かに、人は毎日の中で膨大な量の判断をしている。目覚ましが鳴ってすぐ起きるか、あるいはあと5分布団に入っているかという寝ぼけた悩みから、ランチに何を食べるかという比較的気楽な選択、どのような資料でいつどのようにプレゼンすべきかという緊張感のある決定まで、無意識のうちに判断をし続けている。毎日、夜になって横になるとすぐに眠れるくらい疲れているのは、こうした判断に相当なエネルギーを使っているからかもしれない。少しでも判断量を減らすために、毎日の生活も服もシンプルにしていく、という発想には共感できるものがある。
生活や服をあえてシンプルにする工夫に共感するくらい、せわしない生活もなんだかなぁと考えていると、犬が羨ましくなった。ふさふさの毛に包まれたまま、服なんか着ないで晴れの日も風の日も歩き回り、食べるときも寝るときも同じ格好。春から夏には毛が抜けて体温を下げ、秋から冬にかけてはもふもふと暖かい毛が増えてくる。洗濯もしないし、アイロンもかけない。無印にもユニクロにも行かない。これ以上シンプルなファッションはないように思う。
服が要らないだけじゃない。学校にも行かず、仕事にも行かず、言葉も文字も使わない。それでいて、匂いや表情、勘や空気で必要なコミュニケーションが取れているのだとすれば、この上なくシンプルな生き方に思える。生きる上で必要十分なものを最低限身につけて、走ったり、歩いたり、食べたり、寝たり、起きたり、吠えたり、鳴いたりするのって、とても無駄のない生き方のように感じられる。人がいくら禅寺で修行したって、電柱におしっこかけている柴犬ほどシンプルに生きることは、できないんじゃないか。
なんだって人間はこんな複雑な生活を送っているんだろう。大量の情報とモノに囲まれて疲れているなと感じたら、街ゆく犬のつぶらな瞳をのぞいてみるといい。毎日同じ格好してるけど、無駄のない澄んだ目をしているはず。…たぶん疲れていると思うので、もう寝る。