ものがどんどん減っている。暇があると家の中を歩き回り、要らないものがないか探しては処分している。きっかけは古本をリサイクルショップに出したら簡単に売れたこと。読まれずに埃をかぶったままでいた本が、少額ながらも換金されたことが嬉しく、家の中の不要なものを売りに出すのが半ば習慣となりつつある。そうしているうちに、次第に家の中がすっきりしてきた。部屋の中を慎重にパトロールしても、明らかに不要だと思えるものはもう残っていない。
気がつくと部屋ががらんとしている。売りに出すものもの見つからない。もしかしたらものを処分しすぎたのかもしれない。でも特段の不自由なく暮らしているし、今の状態を自然に感じていて、以前の部屋の状態を思い出すこともあまりない。むしろものがないことで、快適に暮らせているように思う。思いつくままに、ものがないことのメリットを三つ紹介しようと思う。
掃除が楽しくなる
ものが少ないと、掃除が楽になる。掃除機をかける際にも、ものを動かす頻度が少なくなるので、今までよりも短い時間で済むようになった。物足りないので、雑巾がけをするようになった。ものが少ないと雑巾がけも楽になる。これもすぐ終わってしまう。そこで、そのままの流れで今度は窓を拭き始めた。サッシや窓には意外と砂ボコリがついていてこれはなかなかやりがいがあった。ここまでやるとかなり掃除をした気になったが、かかった時間はこれまで掃除機をかけていた時間とさほど変わらない。ものが少なければ手間も減るので、余力で床磨きや窓拭きまでこなせるようになった。楽だし気分がいいので、気が向けばすぐに掃除をしたくなる。こんな感じ方をするようになったのは、ものが少なくなったからだと思う。
いろんなところで横になれる
ものがなくなると、スペースが増える。部屋のあちこちに生まれる新しい空間を見ていると、そこで横になりたくなってくる。実際にやってみると、仰向けになった場所から見る風景は新鮮で、あちこちで寝転がっては楽しんでいる。本を読んだり音楽を聞いたり、日射を避けて日陰とともに移動したり。この夏は特に暑いので、床のひんやりとした感触や窓から入ってくる風の涼しさも心地よい。これまで横になろうと思ったらソファとかベッドに行っていた。ソファやベッドはそのためにあるので、それはそれでいいのだけれど、あちこちで横になれる空間があるのは自由だなと感じる。
探しものが減る
昔からいろんなものをすぐ失くす。失くしたものを探すことは、時間もエネルギーも必要でとても消耗する。だから、ものを失くすことは大きなストレスだった。だから失くさないように気をつけるのだけど、気をつけることにもエネルギーがいる。ものが少なくなると、持っているもの自体が少なくなるので、何がどこにあるのか、大体いつも把握できている。そしてその場所にたどり着くまでの空間にあったものも少なくなっているから、見通しが良い。見通しが良いと、そもそもものを失くしにくいし、あるべきものがそこにないと、何かがおかしいとすぐに気づく。だから、よりものを失くしにくい。ものを失くさないための一番簡単な方法は、そもそももの持たないようにすることなのだと感じている。ものを持つことで生まれる管理の必要性、失くさないように気をつけるストレスや緊張からも解放された気がする。
どちらかというと極端に走りやすい性格なので、今は必要なものまで手放さないように気をつけている。何事もバランスが大切。自分にとって心地よい状態を見つけ出して、日々調整していこうと思っている。それでも、大きな流れとして、持ちものは少なくなっていく方が身軽でいいなと感じている。