本日の仕入れ
今日のとうもろこしは、5本で250円だった。先週は5本で100円だったので2.5倍だ。近所の八百屋では、仕入れの新鮮さや、その日の売れゆき具合により、とうもろこしの価格がダイナミックに変動する。とはいえ破格に安い。気分なのか天気なのか、さらに値引きしてくれることもある。この八百屋の価格形成は、需給とか適正価格とか、そういう難しい話はあまり当てはまらないように思える。
本能・摂理・自明の理
今回も家に帰るなり、すぐに塩茹でにした。今回のとうもろこしは粒も大きく揃っていて、ふたつに割ると果汁が滴ってとても新鮮。お腹が空いていたので、茹であげたとうもろこしを、5本まるまるすぐに食べてしまった。とうもろこしをぼりぼりとかじっているときは、無心になれる。昨日のことも明日のことも、何も考えていない。今なぜとうもろこしにかじりついているのかも考えない。目の前にあるとうもろこしを芯だけになるまでかじりつき、次のとうもろこしに手をのばす。それは本能であり、摂理であり、自然の法則であり、何の判断も必要としない自明の理のように思える。そこに鮮やかに茹だった鮮やかなとうもろこしがあれば、それを音を立てて無心にかじっていく。これこそが毎年訪れる夏の風物詩であり、生活だと感じる。
とうもろこし愛を語る
美味しくて、とても満たされた気持ちになる。これが250円だなんて信じられない。食べ終えた後の芯がかさばるのが難点だけれど、これはまあしょうがない。もうひとつ難点があるとすれば、こういう食べ方をした後は、その日他に何も食べたいという気がしなくなってしまうことである。お腹がとうもろこしでいっぱいになってしまい、他に何も入る隙間がない。消化に時間がかかるのだろうか、野菜であるはずなのに、必要以上に腹持ちがよい。きっと今日も麦茶を飲むくらいで、もう少ししたら眠くなってしまうのだろう。そう考えると、とうもろこしは平和な食べ物だ。形は原始的で、あまり洗練された食べ物ともいえないけれど、確かに幸せを感じさせてくれる食べ物。この先の夏も、美味しいとうもろこしが安くたくさん食べられますように。